このブログを書く意味について
今さらですが、”私がなぜこのブログを始めようと思ったのか”このようなブログを書こうと思った背景について書いていこうと思います。
私は今障害者雇用で働いています。そして私だけで無く私と一緒に仕事を行う同僚の方たちも私と同じように障害者雇用で働いています。
しかし、私とは異なる点もあります。私は発達障害(ASD)の特性がありますが同僚の方たちは必ずしも私と同じ発達障害というわけでは無く、それぞれさまざまな障害特性を持っています。
そのため、同僚に自分の障害について説明しても残念ながら理解してもらえない時があります。そして私自身も同僚の皆さんがどのような特性を持っていて、何に困っていて、どういうところを助けて欲しいのか(どんな合理的配慮を求めているのか)は完全に把握できていません。私の職場はあまりそれを大っぴらにする風潮ではないというのもありますが…
なのでまずは自分の障害特性について上手く説明ができるように自分自身の理解を深めよう、と思いました。そのためにはそもそもASDにはどのような特徴があるのか、それはどれくらい自分に当てはまっているかこの二つがわかれば今までの自分の困りごとなどの上手くできないことがなぜそうなってしまうのかがわかるようになります。
そして“自分のことを深く知ること”で困りごとに対してどのように対処していけば困らなくなるかもわかり、それを周囲の人たちにも説明しやすくなると思いました。私がこのブログを始めようと思った目的は“自分のことを深く知るためにさまざまな観点から自分のことについて考察し、それを記録として残しておくため”なのです。
そしてゆくゆくは自分の障害(ASD)以外の障害についても勉強したいなとも思っています。相手が何で困っているのかがわかればその苦手な部分をフォローすることができるかもしれない、そうすることによって仕事もより円滑に進めることができるのではないかと思ったためです。
お互いやりづらさを感じながら仕事をしていくのはあまり良いとは思えませんからね。
ただ個人的には「私は障害者でこのような困りごとを抱えていますので理解してくださいね。じゃ、そこんとこよろしく。」というように一方的に相手に要求するだけになるのはちょっと違うなと思います。
なんというか…「障害者はこれができないんだ!みんな分かれよ!」とも捉えられる一方的に周囲や世の中に対して理解することを押し付けるような言い方では相手には「障害者って面倒だな。あまり関わらないようにしよう…。」というようにかえってマイナスなイメージを持たれてしまうし、相手の負担も増えてしまいます。
なので、自分の困りごとと配慮してほしいことについて説明するのもとても難しいのです。
障害者雇用で入社する際、企業には合理的配慮という障害者が障害のない人と同じように働けるようにするための配慮を行うことが義務付けられています。
しかし、ASDのような発達障害は一見すると障害を持っているようには見えづらいなどの理由もあり、配慮は周囲の人によっては不公平だ、甘えだなどと思われてしまうかもしれません。
これは難しい問題だなと思います。なので少し伝え方を工夫することで相手の捉え方も変わるのではないかと考えました。
例えば「私は聴覚からの情報を処理するのがが苦手なので口頭での説明が上手く理解できない場合があります。説明を聞いてもわからなかった部分は質問をして確認するようにします。ですが、もし可能であれば文字や図で仕事の手順が書かれたマニュアルが有ると助かります。」
の太字で書いた部分のように自分にとって困難な部分でも工夫して“自分で”改善できそうなところを伝えつつ(上の例だと質問が増えてしまい相手の負担も増えてしまうかもですが…でもわからないまま仕事を進めるよりはマシだと思います!)自分だけがどう頑張っても難しいところは合理的配慮として企業に「こうしてもらえたら助かります。」といった感じでお願いするという形だと、ただ一方的に「自分は××が苦手なので○○させてください。」だけ伝えるのよりだいぶ相手から見た印象は変わるんじゃないかなと思いました。
この私の考えについてそうは思わないという方も中にはいるのかもしれません。私も実際にこのような伝え方をしたり、それを実行したりするのはなかなかに難しいことであると思っているので障害者雇用で就職する人はみんなこういう伝え方をするべき!というのも違うかなと思います。
(そもそも自分は○○するべきとか、○○であるべきとかいう言い方があまり好きではありませんからね…)
ですが少なくとも私は、自分が抱えている困難さは完全に周りの助けで解決してもらうよりは自分の努力や工夫次第で解決できそうなところはなるべく自分の力で解決するチャレンジをしてみる、というやり方の方が精神的に居心地が良い?罪悪感が薄まる?あまり良い表現が思いつきませんが、なんとなく生きやすくなる、そんな気がします。