ぬんぬの日記

ASD特性を持つ自分についての考察日記

人と目を合わせるのがこわい!

私は人と面と向かって話さなければならない時にどうしても相手の目を見て話すということが出来ず、視線を違う方向(例えば話し相手が話しながら手遊びをするクセが有ったとすると、その動いている手を目がずっと追いかけているような形になり、相手の顔は見たとしても口元辺りまで)を見ている事が多いです。

でも、ずっと視線を逸らしたままだとたぶん相手からしたらずっとうつむいているように見えちゃうだろうし、もしかしたらちゃんと話を聞いていないと思われているんじゃないかとか考えてしまい時々は目を合わせるようにします。でも目があってしまうと(これは感覚的なものなので上手く言葉で表現するのが難しいのですが)ドキッとするような、ゾクっとするような、「しまった!目が合ってしまった!」というような気持ちになってしまいます。

これは例え相手がどんなに親しい人であってもそうなってしまいます。これは昔からそうでうっかり人と目が合ってしまうと思わず逸らしてしまったりしてかえって不自然な感じになってしまうことがよくあります。

視線を合わせずに話している自分が周りからはどう映るのか知りたいような、知るのがこわいような気持ちです…。

更に言うとzoomのようなビデオ通話で一対一で会話する際もあまり目を合わせることができません。なんだか緊張してしまうんです。

更に更に言うとビデオ通話だけでなく写真と目が合うのも苦手です。そのためスマホの待ち受けを人の写真にすることはまず無いですし、スマホのアルバムを眺めている時にいきなり人の顔が出てきたらびっくりするので(自分の顔であっても!笑)自撮りとか、人の写真を撮るとかはなるべく避けてます。

だから友達から記念写真を撮ってもらってLINEで共有されても困る…ってこともあります。

当然自分の部屋には人の顔が写った写真を飾るなんてことはしません。しかし、小さい頃から困っていたのが両親の実家に行くとお仏壇のある部屋には必ず親族の遺影が飾ってあることです。

幼少期の私はその部屋で寝ようとしても怖くて全然眠れませんでした。(写真に写っている人が怖い人だからというわけでは無い(そもそも会ったことも無い)ので怖いと思ってしまうのは申し訳ないですが…)

そしてその「怖い」という経験がトラウマのようになってしまい、それからだいぶ成長するまでは遺影が飾ってある部屋に入ることができませんでした。

 

それくらい人の視線に対する恐怖心的なものが強い私ですが、「何とか割り切ってしまえば」多少は平気になります。

例えば、私は絵を描くのが好きで、絵の練習のために時々雑誌などの写真をデッサンしてみる事があるのですが、「この写真に写っている人はあくまでも絵を描くための資料に過ぎない。」そう自分に言い聞かせることによってその被写体の人を「ただの絵を描くためのお手本」と割り切ることができるのです。

ただ、この頭の切り替えを行うだけでも結構な労力を使ってしまうし、この割り切りを目の前にいる生身の人間に対して、例えば、「今私の前にいる人はカボチャだと思うようにしよう」と思うようにしてみようと思ったとしても実際に目の前の人間をそんな風に扱うなんてとんでもない!って考えが先行してしまってなかなか上手くできません。

先程話題に出した遺影なんかもそうです。そう思ってしまうとバチが当たるような気がして…

雑誌とかに写っている人は割り切れるのは自分とは全くの関わりの無い相手だから、かもしれないです。よくよく考えたらもし自分の知り合いの写真を見て絵を描いてみてとなったら私は相当な覚悟を決めないと筆が進まなくなりそうなのが容易に想像できます…

この感覚は私特有のものなのか、あるいはASDHSP特有のものなのか(私にはHSPの傾向も少しあると思っています)、一般的に大なり小なり感じている感覚なのかは他人と比較したことがないのでわかりませんが、なんだか不思議な感覚だなぁと思ったのでした。

 

余談ですが、二次元の人間でも割とリアルな絵柄で描写されているキャラクターも三次元程ではないですがあまり目を合わせられません…デフォルメが強くなればなる程この緊張感?は軽減されていきます。

また、三次元でも人間以外の動物ではほとんど緊張感は出ないです。自分でもどうしてそうなのかはよくわからんです。